タワー・オブ・テロック・インタン
マレーシア版ピサの斜塔
マレーシア イポー
≪タワー・オブ・テロック・インタン≫
イポーから南へ80㎞、テロック・インタンという街の広場にある高さ25.5mの塔。
1885年、建築家のLeong Choon Cheng 氏によって、この町の貯水タンクとして
建てられました。町への給水の他、干ばつの際や消火にも活用されていました。
また、テロック・アンソン・ポートを航行する船に信号を送る役目も担っていました。
しかし、1889年~1895年にかけて南西方向に傾いてしまいました。
柔らかい地盤であった事と、水の重みが原因と言われています。
イタリアのピサの斜塔と比較されますが、ピサの斜塔は55mあり、
高さはピサの斜塔の半分以下です。木材と煉瓦で作られています。
外から見ると8階建てに見えますが、中は3階しかありません。
1階部分の直径は13m、一番上の直径は8.2mです。
各階には幅1.8mの通路があり、緑色の石で装飾されています。
イギリス統治時代はイギリスが所有し、第2次世界大戦中の日本占領時においては
日本軍の監視塔として使われました。
1894年に、地元の人々の寄付により取り付けられた時計は、イギリスの
J.W.ベンソン製で、今も15分ごとに時を刻んでいます。
給水塔としての役割は短かったのですが、今でも時計台としての役割を果たしています。
2階の様子。古い写真が飾られています。
2階から3階に上がる階段。
3階の様子。上にあるのが給水タンクです。
ものを下から吊り上げられるようになっています。
各階の外側に通路があります。
テロック・インタンの街並み。
テロック・インタンの周囲にはペラ川が蛇行しながら流れています。
マレーシア イポー
≪タワー・オブ・テロック・インタン≫
イポーから南へ80㎞、テロック・インタンという街の広場にある高さ25.5mの塔。
1885年、建築家のLeong Choon Cheng 氏によって、この町の貯水タンクとして
建てられました。町への給水の他、干ばつの際や消火にも活用されていました。
また、テロック・アンソン・ポートを航行する船に信号を送る役目も担っていました。
しかし、1889年~1895年にかけて南西方向に傾いてしまいました。
柔らかい地盤であった事と、水の重みが原因と言われています。
イタリアのピサの斜塔と比較されますが、ピサの斜塔は55mあり、
高さはピサの斜塔の半分以下です。木材と煉瓦で作られています。
外から見ると8階建てに見えますが、中は3階しかありません。
1階部分の直径は13m、一番上の直径は8.2mです。
各階には幅1.8mの通路があり、緑色の石で装飾されています。
イギリス統治時代はイギリスが所有し、第2次世界大戦中の日本占領時においては
日本軍の監視塔として使われました。
1894年に、地元の人々の寄付により取り付けられた時計は、イギリスの
J.W.ベンソン製で、今も15分ごとに時を刻んでいます。
給水塔としての役割は短かったのですが、今でも時計台としての役割を果たしています。
2階の様子。古い写真が飾られています。
2階から3階に上がる階段。
3階の様子。上にあるのが給水タンクです。
ものを下から吊り上げられるようになっています。
各階の外側に通路があります。
テロック・インタンの街並み。
テロック・インタンの周囲にはペラ川が蛇行しながら流れています。